ある記事で、フェイスブックとツイッターは使い方を良く考えるべきだという話を聞いた。
その点に関しては「その通りだ」と思う。
仕事柄、私の様な人間は「最低限の個人情報」の保持は必要と考えても、それ以外は基本的にオープンにしている。
逆に言えば、仕事の事で開示していけない事案は「機密事項」であり、それ以外に起きた出来事は原則開示してなんら支障はないだろう。
最近は、様々な名刺をいただく。その上で、フェイスブックを見ると、かなり個人情報が流れている事に気づかされる。
たとえば、Aさんの場合。
Aさんは、昔の職場にいた人間だ。最近はあまり見かけないと思いながら、どうしてるんだろう。と思う。
しかし、フェイスブックで仕事の事を触れているのは正直いただけない。
本人は「どこで勤務しているかわからない」から大丈夫。
と思っているだろう。
しかし、本人が情報を開示しなくとも、関連情報(いわゆる合成した個人情報)で、Aさんがどこにいてどういう職業かわかってしまう。
すなわちこういう仕組みだ
Aさんのお友達リストで知っている人の情報を突き合わせる
Aさんの居住地を含め、判断する
Aさんが書いてある内容を確認
ざっとこんなところである。そうすれば、Aさんが今どういう状況か概ね読み取れると言う算段だ。
そう考えて行くと、フェイスブックに記載されている個人情報はきわめて怖い事に気づかされる。
特に個人情報の取扱がかなりシビアになっている昨今、こういった話は到底看過できる訳が無く、近頃は「最近**さんどうしているんだろう」と思う時は、フェイスブックで検索して見る事にした。
年代や職種などで掲載率はまちまちだが、ざっと調べた限りでも約2割は名前が挙がってくる。
こうやって情報収集ができるのはある意味恐ろしい話で、居住地・電話等はわからなくとも、名前と行動記録(アクティビティ)を追っているだけでわかるのは恐ろしい話だ。
個人情報の発信を行う場合は、常に「誰かに見られている」事。
見られないように制限をかけても、わかってしまう虞(おそれ)がある事を重々認識すべきだと考える。
社内において、ツイッター・フェイスブックの利用は禁止し、私自身は「公式掲載」を前提に使用しており、一線を画したいところである。
あまりにも情報が緻密になり、非常に書きづらい印象を受けるようになった
[ Tags :: フェイスブック ]
フェイスブックと個人情報
2011-10-03
先日、某隣国の方がフェイスブックに顔写真を載せていたのですが、
気づいたら承認制といった制限がかかったことは記憶に新しいことと思います。
この方の場合は関係者がいろいろ訳ありですから当然といえば当然かもしれません。
そんなフェイスブックですが、あるブログを探していたら、いつの間にかブログの記事は非公開にしたのかあるいは削除したのか真相は謎ですが、その代わりにフェイスブックとツイッターが増えていました。
私もこっそりですがどちらもアカウントは開設しているものの、あまり活用の兆しがなく放置プレイな感じです。
その検索で見つかったフェイスブックのユーザですが、ご丁寧にもご家族の方もされているらしく、あらかたの家族構成が見えてしまう結果に。
こういった問題はかねてから危惧していたことで、実名で掲載の上、生年月日までオープンにしていることが多く、さらには顔写真まで載せていることがあるわけです。
海外では当たり前といいますが、個人情報をあまりオープンにしない日本人からするとどうしても怖い感じを受けます。
これは、昨今のストーカーといった案件はもちろんのこと、各種なりすましの温床になりかねない指摘もあるため、非常に注意を払うべきことでないかと思います。
ただ、インターネットというのは誰でもオープンにその情報にアクセスできるところに良さがあります。ブログを探したついでにフェイスブックが見つかってその上で、家族のリンクが見つかったとき感じたのは「他人の家に勝手に入った気分」が表現としては正しいかもしれません。
すなわち「他人のプライバシーをのぞき見している」罪悪感すら感じてしまうのです。
私は、プライベートな話題をネットで書くことは控えるべきだと常々申し上げています。
もちろん全部が全部だめでなく、記述内容はよく考えるべきだといいたいのです。
フェイスブックをやり玉に挙げるつもりは毛頭ありません。
これからの動きは確実にフェイスブックをはじめとした「ソーシャルサイト」にシフトしており、SNS国内大手のミクシィもフェイスブックと同様なサービスを始めたことは記憶に新しいことです。
今まで、個人のちょっとした動向はごく近隣しかわからないのが、今では自発的に?情報を開示しているわけですから恐ろしい時代になったのと同時に「誰かに聞いてほしい。寂しい」という感じすら受けてしまいます。
ツイッターの流れているコメントを眺めながら、私自身もいろいろ考えさせられたり、時折コメントを流し入れたりしていますが、発信する言葉の一つ一つが大きな意味を持つだけに慎重に言葉を選ぶようになりました。
個人情報が簡単に入手できる非常に怖い世の中になりました。
気づいたら承認制といった制限がかかったことは記憶に新しいことと思います。
この方の場合は関係者がいろいろ訳ありですから当然といえば当然かもしれません。
そんなフェイスブックですが、あるブログを探していたら、いつの間にかブログの記事は非公開にしたのかあるいは削除したのか真相は謎ですが、その代わりにフェイスブックとツイッターが増えていました。
私もこっそりですがどちらもアカウントは開設しているものの、あまり活用の兆しがなく放置プレイな感じです。
その検索で見つかったフェイスブックのユーザですが、ご丁寧にもご家族の方もされているらしく、あらかたの家族構成が見えてしまう結果に。
こういった問題はかねてから危惧していたことで、実名で掲載の上、生年月日までオープンにしていることが多く、さらには顔写真まで載せていることがあるわけです。
海外では当たり前といいますが、個人情報をあまりオープンにしない日本人からするとどうしても怖い感じを受けます。
これは、昨今のストーカーといった案件はもちろんのこと、各種なりすましの温床になりかねない指摘もあるため、非常に注意を払うべきことでないかと思います。
ただ、インターネットというのは誰でもオープンにその情報にアクセスできるところに良さがあります。ブログを探したついでにフェイスブックが見つかってその上で、家族のリンクが見つかったとき感じたのは「他人の家に勝手に入った気分」が表現としては正しいかもしれません。
すなわち「他人のプライバシーをのぞき見している」罪悪感すら感じてしまうのです。
私は、プライベートな話題をネットで書くことは控えるべきだと常々申し上げています。
もちろん全部が全部だめでなく、記述内容はよく考えるべきだといいたいのです。
フェイスブックをやり玉に挙げるつもりは毛頭ありません。
これからの動きは確実にフェイスブックをはじめとした「ソーシャルサイト」にシフトしており、SNS国内大手のミクシィもフェイスブックと同様なサービスを始めたことは記憶に新しいことです。
今まで、個人のちょっとした動向はごく近隣しかわからないのが、今では自発的に?情報を開示しているわけですから恐ろしい時代になったのと同時に「誰かに聞いてほしい。寂しい」という感じすら受けてしまいます。
ツイッターの流れているコメントを眺めながら、私自身もいろいろ考えさせられたり、時折コメントを流し入れたりしていますが、発信する言葉の一つ一つが大きな意味を持つだけに慎重に言葉を選ぶようになりました。
個人情報が簡単に入手できる非常に怖い世の中になりました。
— posted by admin at 08:58 pm TrackBack [0]