[ Tags :: 人生観 ]

平凡に生きる

昨夜はこのところの疲労がたたって、早々に床につきました。

昨日は雑務らしい雑務はこなせず、一日が過ぎたことにいささか自分にとって無駄な一日だった感じがしました。
朝からの新聞は、自分にとって数少ない情報源。


テレビを見る習慣がない私にとって日々の新聞記事は日によって多少違うものの、大事なことに思うのです。

こないだ、ある記事に写真付きで掲載されていた時の話。
新聞に掲載されることを当人に尋ねてみると名誉なことかと思いきや単なる偶然とはぐらかす。


どちらかといえば、こっそりしておきたいという気分があるというから、意外だった。

「目立つことは名誉なことではない。むしろ、不幸である。」と


これは、当人の努力で掲載されているのですが、ほかから見れば、実は違うんじゃないか?と見られてしまう節がある。
ことを示唆していることに思えてなりません。


この方々とは約20年近い前から面識がありますが、当時のことを思い出せば到底考えられないことですが、ここまでに至る何かがあったのでは?
と思うのは当然のことかもしれません。



平凡に生きることは、決して不幸ではない。


目立つことがよいことでなく、むしろ目だたたない生き方も大事だということ。

改めて考えさせられました。

— posted by admin at 06:42 am   pingTrackBack [0]

人間言われるうちが花である

今日はある事案でメールを読んだ


その内容がなぜか、上から目線だった事に書いた本人は気づいていない。

普段の私なら「烈火のごとく」文句を言うのだが、言わない。
なぜなら「どうでも良い」からである。

私が言わなくとも、誰かがプチッと切れて・・・っていう事はこのご時世余り無い。

私も良く、お客さんから怒られる事は多い。

仕事として考えても、私の落ち度がほとんどなので当然であるんですが、
自分の間違いを正してくれるお客さんは正直少ない。

私は長崎という土地柄もあり、私の事を良く叱る方が何人かおられる。


私は大学を卒業してからこの仕事を始めている。
ウェブサイトで公開しているように、今年で10年だ。
今も良く失敗ばかりしている私にとって、人生の先生は多くいる

そういう意味では、先生と呼べる方々に囲まれて今の自分があると思うだけに

つい手をさしのべたくなるのだが

実はこれが間違いだったようだ。


あえて気づかないふりをする

聞いて話を受け流す


いろんな場面を見てきた自分にとって、今回の件は決して対岸の火事ではない。

正直不幸な事は、真剣に物事を考えていない人

自分がやり通すと言う気構えが無いと言う事。


私の会社は常に「サバイバル」であり、「結果至上主義」というとんでもない所で仕事を行っている。
私の中では「業者とは、自分より知識が有り、経験を持ち、専門的見識がある」という定義がある
これは、「プロ」としてお金をもらい、仕事をしている立場からすればどれも当然のはずだ


ただ、そういうことを思いながらも私の中では「口やかましく言ううちが良い」と思ったがどうやら違うようだ。

すなわち

「人間言われるうちが花」という事を身をもって知った

言いたく無い事は多々ある。
ただ、誰かが言わなければいけない。
温室育ちは寒さ・暑さを知らない

あえて言う

ある会社は個性を「トンガリ」といった。

人間言われるうちが花である。
言われなくなれば、いつの間にか忘れられ
そして枯れて無くなる。
たった一言の「言葉」がその人を「幸せ」にするが、たった一言がその人生を左右する。


少し歳を取ったようだ

— posted by admin at 11:30 pm   pingTrackBack [0]

このエントリーをはてなブックマークに追加
<< 2024.5 >>
SMTWTFS
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
 
T: Y: ALL:
Created in 0.0403 sec.