平成9年といえば、私がちょうど大学に入った頃、当時はケータイやPHSが普及し始め、ポケベルが末期と記憶しています。
ちょうどこの頃には、こんな歌も流行りました。
多感期だった、私のトレンドは、むしろパソコン通信でした。
nifty-serve(現@nifty)やPC-VAN(現Biglbbe)のフォーラム参加は今で言う、mixiやfacebookのやりとりに近く、私から見ると、原点回帰になったのかなと言う印象を受けます。
この頃、パソコン通信を個人レベルで展開したのですが、電話回線を最盛期は4〜6回線引いていました。
電話番号もぞろ目で取得していたのは、ちょうどこの頃の話で移転するまで、長らく利用していました。
今の電話番号に切り替えて今年で7年です。
電話番号にこだわるようになったのは、事業を本格的に行うようになってからですが、覚えやすい番号(いわゆる良番)の部類は、固定番号では全桁同じで取得したのは過去に2回ほどで、後は3桁同番または繰り返しぞろ目(いわゆる3838のような番号)が中心です。
電話番号の話をするとまだまだ書けそうです。
話しを少し戻しましょう。
当時パソコン通信を中心に生活をしていた私は、ポンコツのノートパソコンを片手に、片道20分のデジタル公衆電話まで歩き、わずか10分の通信をして帰る生活をしていました。
今でこそ、イーモバイルのような端末をつけて行うのですが、まだ当時はモデムをつなぎ、テレカとモデムでやりとりしていたのが懐かしく、一日かけて原稿やデータを作り、10分の間にデータをやりとりする。生活がかなり続きました。
それから、ISDN回線を引き、昨年の夏まで利用していた訳ですから実に10数年お世話になった事になります。
NTTに関して言えば、まぁいろんな意味でお金をかけました。
ISDNのTAは用意したものの、DSUが内蔵されておらず、NTTに準備してもらったところで初期費用が5万円近くかかりました。
今で言うところの光回線の工事費用を一括で支払った計算です。実際はそれよりも多く払っていますが・・・
電話回線をばんばん引いたのは、ISDN回線ですが、電話加入権はまだ1本しか持たず、残りはすべて加入権無しのライトプランで契約していました。
支払額はざっくりですが、基本料金だけで1万円は軽く超えており、これにダイヤルインの料金、夜間の使い放題(テレホーダイ)のオプション料諸々で2万円は超えていたはずです。
私の会社の電話番号が095−833−xxxxで始まるのはこの頃からです。
当時使っていた番号が
095−833−2635/2915/2647/2929/2883
個人契約にもかかわらず、代表回線を構築したりダイヤルインを入れたりいま思えば、生産性のない事にお金を使っていた自分がばかばかしく思います。
それから、ある事がきっかけでインターネット回線を専用で引こうと、OCNエコノミーを引いたのが2000年の事。
IT企業として足場作りを始めた、エーアイスクエアステーションの原点といえる出来事といってよいでしょう。
NTTの販売取り次ぎを始めるようになったのは、こういった時代背景があり、NTTが分社・再編した事で大きく変化した時代を見据えた当時は営業窓口(長崎では出島ビル1F)にカウンターが並ぶところでしたが今ではその影もなく、時代の流れを感じる瞬間です。
まだNTTといえば、正社員が受付/収納/サポートをしていましたが、いつの間にか電話だけ、訪問も委託ないし代理店が訪問するのが当たり前となったのはどこか寂しい気がしてなりません。
今のノウハウは当時の授業料が大きく貢献していると自分では思っています。