相手のことを良く思えば、自分のことも良く思ってもらえる・・・と考えるが
実は違う。
客は神様でない。客は客なのだ。
それに対し、提供する私はあくまでも「業者」であり、客との接点をどう得るかにかかっている。
私は顧客に対し、声を荒げることはそうない。
いや、ほとんど無いはずだ。
その代わり、業者に関してはめっぽう厳しい。それは、エンドユーザに対し、迷惑をかけない為でもあるが、真剣勝負であることを伝えることもである。
さて、客に対して私が怒るのはどういうときか?
それは、私の意に反するとき。
今日もこれで大きく揉めた。
財政難の中、10数万円のお金を捻出が難しい、ある会社の話。
これまで数ヶ月も音沙汰無しに進んでいたこともあり、業を煮やした私は
「**の件について見解を質したい」と申し入れた。
この点について、先方の意見はあまりにも驚いた
「あなた(おおくす)が決めることでなく、決定権は我々にある」
ということで話が決裂した。
さらに、「契約を続けたければ、**までに来なさい」という態度について、さらにあきれかえるばかりだ。
この時点で、私は「契約解除やむなし」と判断した。
こういうとき思うが、客は業者から物やサービスを金銭という対価を得てはじめて成り立つ。
業者は客の態度によっては、その提供を停止する「拒否権」を持っていることをしらない。
私が言いたかったのは、「客はあなた方だけでないが、逆に業者も私だけでない」ということ。
昔から「お客さまは神様である」というのは、どんな横柄な業者でも不平不満を言わず、お金を払うことだろうが
でも不平不満を言うのは人間だから仕方ない。
今までは世間体や経済的事由で、相手の言い分を受け入れることがあったが、昨今こういう態度をとる客に関しては、容赦無く「契約解除」する事にしている。
客に関しては、どんなわがままも受け入れる私だが、わがままも度が過ぎると、容赦無く契約打ち切りで応戦する事になったのは「何でも迎合する」ことに辟易したことの表れかもしれない。
自分は客だから偉いんだは通用しない。
私も実践していることだが、いやならさっさと辞めりゃいい。
そう思って今日も疲れた。